天保2年(1831年)からの大飢饉と苛酷な税に農民の生活の悲惨さはその極に達し、ついに弘化4年(1847年)第1回の一揆が、切牛弥五兵衛を中心におこった。次いで嘉永6年(1853年)には田野畑太助を発起人として南部領三閉伊農民一揆が決行された。一揆の像が田野畑にある。
岩手県
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