嘉永6年(1853)の農漁民による近世最大の一揆の指導者で、苛酷な課税に苦しむ三陸沿岸の農漁民を率いて、藩政改革を唱えた。現在は生家前に石碑が建っている。釜石市栗林町出身。碑文には「自ら適切なる交渉によって民衆の苦難を救い、藩政の改革に成功したが、事急であったので一部の誤解、反感を受け、牢死の悲運に遭った。然し彼は、常に人間を日月に比し、人間尊重の生活を実現する為に、自己を犠牲にすることはいとわなかった」と刻まれている。
岩手県
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