昭和初期の詩壇にすい星のように登場し、 24歳で帰らぬ人となった四季派の叙情詩人・立原道造(たちはらみちぞう)。彼は昭和13年9月から10月まで盛岡の深沢紅子 (ふかざわこうこ)氏生家の別荘に滞在した。その間盛岡での叙景や心情を綴ったのが「盛岡ノート」。 光あれと ねがふとき 光はここにあった!・・・ で始まる「アダジオ」もこの作品の中の一つで、愛宕山中腹の松林の中に碑が立っている。付近は立原が滞在の折に散策した、なだらかで美しい丘陵です。 死の前年の秋,盛岡に約1カ月逗留。盛岡での叙景や日々の心事をつづ