秀衡街道とは、陸奥国・平泉と出羽国・横手を結んでいた道のことで、この道は「中尊寺金色堂」で知られる奥州藤原氏の三代目・秀衡の時代に金の輸送に使われていました。このことから「黄金の道」とも称され、鷲之巣金山や畝倉山、明戸山などの金山跡が残されています。
平泉~北上~西和賀~横手のおよそ80kmある道の中でも、人馬の事故が絶えなかった難所、和賀の「仙人峠」に藤原秀衡が先祖の霊を仙人権現(現 久那斗神社)として鎮座したと伝えられています。
久那斗神社の里宮が秀衡街道の東西で祀られており、東の里宮は、北上市和